49.憲法を読む
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憲法本の最後。
この本でおっさんの目からウロコをバシバシ落としてくれた
憲法学者、中川剛氏による日本国憲法解説本。
憲法の詔勅、前文から各条文を一つ一つ丁寧に分析を加えた名著である。
残念ながら本書も絶版になっており、氏もお亡くなりになっているとのこと。
もしまだこの世に生がおありなら、昨今の憲法論議はさぞ意義深いものに
なったであろうことを考えると残念でならない。
時代はそこまで待ってくれなかったようだ。
さて、まず筆者の態度を彼の言葉を借りて言うと、
「このあたりでおとなの感覚で憲法を見直してはどうだろう」
ということになる。
氏はこの本(法感覚のリンク)でも述べているように、日本国憲法も明治憲法も
当時の国際社会を独立国家として生き残っていくためのレトリックに
過ぎなかったという点でどちらも変わらないと考えている。
つまり、日本人の精神構造は当時も今も大して変わっていない。
筆者が一番問題にしているのはこの点であり、
憲法を決して触れてはいけない代物とみなし、現実からいくら乖離していても
現実を無理やり憲法に合うように解釈することで逃れようとする態度にある
と考えている。
これを筆者は「憲法教」とよんでいる。
憲法が宗教になってはいけない。現実にあわせて見直すべき点は
見直さなければならない。それを点検するのが憲法学者の仕事のはずだ。
だから、そういう意味では憲法9条に関しても、筆者に言わせれば
「自衛であろうが何だろうが戦力の不保持」が「唯一の正しい読み方」
であるはずなのだ。芦田修正はごまかしに過ぎないという。
戦力保持を認めるのであれば、正々堂々と憲法改正をすべきなのだ。
筆者自身は「近代国家」において自衛のための戦力すらまったく持たないと
いうのは極めて「非現実的」との立場である。
自分たちの生命と財産の保障が「諸国民の公正と正義に信頼して」
守られるほど楽観的なものではないはずだ。
しかし、一方で「近代国家」があるからこそ戦争が起こるのであって、
「国家主義」に対しては反対の立場を取っている点が面白い。
つまり、現代が「近代国家」を前提として国際社会が成り立っている以上
自衛のための戦力の保持は仕方がないとする考えのようだ。
従って、次のフェーズは「国家」の是非というものを真剣に考えなければいけなく
なるのだろう。経済のグローバル化やEUなんかはその模索の結果としての
答えのひとつなのかもしれない。
その際のキーワードは、「貧困の撲滅」だとおっさんは思う。
では、条文を仔細に分析して数々の矛盾を指摘してきた筆者は
改憲についてどう考えているのだろうか。
長くなるが、結びの言葉を引用させてもらうことにする。
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近代日本は、憲法と銘打った二つの憲法を持っている。どちらも無疵で長命であった。しかし、こと憲法に関しては、日本人はいまだ自己を表現したことがない。明治憲法も日本国憲法も、近代化のための借り着であった。日本国憲法は、日本国民再生の縁起を述べる物語であったかもしれない。しかし「日本国民は」「この憲法を確定する」という表現が、あたかも事実であったかのように受け取られて、憲法が国民の現実感覚に対して麻酔の機能を発揮することにもなった。
人間の生存に神話は必要だが、その構造を見通せなくては、けっきょく迷妄の森に取り残されることでしかないだろう。
理論の現況はどうかといえば、原型がアメリカの憲法を、アメリカの判例理論を中心に、利用できそうな各国の理論を抽出して解釈に役立てているというものである。これでは、明治憲法が主としてプロイセン憲法を模範として起草され、ドイツ製の公法理論で装われたのと少しもかわることがない。つまりどちらも権威主義を再生産するばかりで、独自の理論を根づかせることができないのである。
(中 略)
けれども、日本国憲法とて人の手になる不完全な作品である。欠点のない、理想の憲法などありはしない。どこまで推敲しても完全なものになるわけではない。そのように見えるとすれば、やはり制定者の言葉の麻酔にかかっているのである。「侵すことのできない永久の」も「人類普遍の原理」も文飾であって、事実ではない。
(中 略)
検討されなくてはならないのは、この憲法に日本人の政治的経験や知恵がほとんど反映されていないということである。そこから日本文化の深層へおりていく道筋を見つけることができず、すでに死文となったかのように註釈の対象となっているばかりの現状である。
日本国憲法を、ただちに一挙に放擲せよと言えるほどの剛直な精神を、私は持ち合わせていない。ことを急げば、明治憲法との中間点に逆戻りすることになりかねないだろう。それは解答ではない。
(中 略)
ただ、日本国憲法さえ究極ではなく、試行の一過程にほかならないという、しごくあたりまえのことに気づくのが、今のところ大切なのではないか。
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この本が出版されたのが昭和59年だから1984年。
あれから20年余り経った。
日本国内の情勢も、日本を取り巻く国際情勢も大きく変化した。
今、同じ問いを筆者に投げかけたらどんな答えが返ってくるだろうか。
氏がご存命であればとますます悔やまれる。
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